近況。個展のこととレッド・ベルベット。あと新作。

レッド・ベルベットを書き終えたのは去年の11月だけど、個展のことや、可能ならあとちょっとプロモーションしたいなと思い、今でも引きずりつつキャラクターを描いている。読んだことないけど、こんなふうな漫画を探し求めてる人がまだいてくれると良いな。届くかな、ってすごく儚い望みをまだ抱いている。好きな作品だった。キャラクターのことを話してくれる人に会うと嬉しくなる。今は個展の作業を一旦終えて、新しい漫画を描いている。70ページくらいの漫画で、ちょっと不思議なお話だ。寂しいし、辛いこともあるし、出会いもあるし、やるせなくもある、いつも通りの話だ。5年前の今頃はディア・ダイアリーという単行本のために漫画を描いていた。どんな気持ちで描いていたかは忘れてしまったけど、2016年の6月か7月頃に、なぜか突然宣伝をしなくちゃ!と思って絵を描き始めたのを覚えている。とにかく毎日描かなくちゃって思って、夜遅くまで描き、間に合わなかったら早起きして大学に行く前にも描いた。走り出して、止まり方を忘れたみたいに、ただ毎日描いた。この日記のタイトルに近況、とあるけど、漫画の仕事をするか、大学の仕事をするか、そうじゃなきゃイラストを描いてるだけで日々代わり映えしない。先日は久しぶりに東京へ行ったけど、在廊した以外はほとんど時間がなくて、次の日に川崎でパンダエクスプレスを食べてすぐ大阪に戻った。

村田蓮爾さんが展示を見に来てくださって、レッド・ベルベットの3巻にサインを入れているときに、どうしてだか、「もっと売れなくちゃいけないんですけどね」って私が村田さんに云ったのを覚えている。どうしてそんなことを話したんだろう。本が売れないことで負い目を感じているんだろうか。出版社を潤わせることができる作家でも作品でもないのは自分自身が一番よくわかってるし納得もしてる。ただ、いろんな人に申し訳ない気持ちがいつもあって、それから逃れられなくて苦しんでいる。無価値だと思われることが怖かった。作品にどれほど誠実でも、努力をしても、数字を出せなきゃ意味がないと思ってた。村田さんはレッド・ベルベットを手に持って、「これでいんです」と云った。でも、って云ったら、「これでいいんです」ともう一度繰り返して云った。ちょっと悲しいと感じたのは、会社が評価してくれる人になることを、もう手放そうと思ったからだ。それと同時に村田さんや、今回の漫画を読んでくれた人たちを落胆させなかったんだと安堵した。初めから二つは手に入れられないのはわかってた。二つは手に入らない。二つは高望みだ。だったら地表ギリギリの低空飛行でいいから、作品を愛してくれる人たちに寄り添い続けようと思った。頭で思ったことを、絵や漫画に表せるんだからそれでいいじゃないの。どうしてくよくよ考え込んでいたんだろう。馬鹿だった。

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近況10月(上げ忘れていた古い日記)

9月売りののレッド・ベルベットを描き上げた次の日から、毎日朝の8時から夜中の3時まで働いて、iPad Pro+Procreate マンガ・イラストの描き方という本を書き上げた。毎日画像がぼやけて見えなくなるまで絵を書き出したり、文字を打ったりした。漫画の原稿の直後だったからとても辛かった。大学も専門学校も授業が始まっていた。入試や懇談もあった。毎日眠くて9月の記憶はあまりなかった。誕生日のケーキを買ってもらって、歌を歌ってもらって、ろうそくを吹き消したことを覚えている。

レッド・ベルベットの23話を描き終えたので、次は最終話を描かねばならない。連載を始める前に編集部に出したお話の流れその通りに、始まった話を終えようとしている。今は最終話の構成や演出を考えている。何度も書いてしまうけど、漫画を描き続けるために何かできることをと考えてイラストを描いている。漫画を描くためにiPadやProcreateを死に物狂いで学び、失敗して泣いては立ち上がることをやめないでいる。イラストが私より上手い人は本当にたくさんいる。漫画もそうだ。私の漫画の師匠は今の漫画の中にはいないけど、きっとそうだ。上手くなろうとは思ってない。ただ純粋に漫画を描くのが好きで、続けたいから、イラストも学校の仕事もなんでもやる。お金にならなくても、漫画の助けになるのならいくらでも描く。クロッキーにも行く。純潔じゃないと飛べないと、バーディーの映画の中で云ってたように、ストイックじゃないときっと描けなくなってしまうんだ。ずっとそれが怖い。まるで信仰心をなくすようで怖い。だけど時々、感想をしたためてくれた手紙を読んでは、胸が詰まって泣いてしまう。赦された気持ちになる。自分は悪い人間で、漫画をただ描きたいと云う気持ちはただのエゴで、周囲をそれに巻き込んで、それは罪深いことに違いないから、赦しがあると泣けてしまう。

一番自信が持てるのはご飯を作っているとき。いつも同じものばかり作っているけど、自分で食べて美味しいから幸せになるし、家族も美味しいと云うから、よかった、みんな幸せそうだと思える。漫画作品は客観視できなくて、ご飯を作るようにはいかないけど、毎月こんなに骨身を削ってお話を組み立てているんだから、多分大丈夫だと思う。自信なんて蜃気楼みたいで、近づけば逃げてしまう。

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今月も漫画を描いた

漫画を一生懸命描いているとtwitterに何も描けなくなる。毎回だいたい105コマから108コマを描く。それと扉絵。その間はtwitterにもどこにも新しく絵が描けない。仕方ないのはわかっているけど、イラストも描かなくっちゃって不安になる。今頃で申し訳ないと呟きながら往復ハガキの返信を書いては送っている。往信に書かれた感想や思いの丈を読んでいると涙ぐむ。長いこと描かなかったことで不義理をした申し訳なさと、未来を見て励ましてくれている嬉しさで返事を書く手が時々手が止まる。年齢を見ていると雪風の頃のファンの方が多い。見放さないでいてくれてるのかな。出版社が描いてくれと云わないと描けないと、以前は訊かれれば答えていたけれど、今年は自分でも動いて雪風の続きを描く努力をしている。何かが決まって報告できる日が来るといいのに。

今のレッド・ベルベットはあと何回かで終わる。2年も描いていたから終わるのは寂しいけど、終わるために描いてきたからそれでいいんだ。好きなものを描いた。幸せだった。2017年からこっちの目標は漫画を描き続けることだった。何かが終わっても何かを始めなくちゃ。天井を見つめてただ待ってるだけの人にはならないと決めたから、きっとまたすぐに描き始めるはず。売れない漫画描きの居場所はないけど、描きやめないって誓ったから。

同人誌のイベントがなくなってしまって、描きためたイラストの発表の場がなくなってしまった。いつかまたイベントで本が出せると理解はしていても、イベントに合わせない出し方をどうすればいいかわからない。今はいろんなアイデアを模索している。同人誌の代わりになるアイデアを考えたから、寒くなる頃にそれを試したい。Procreateの技法書も今作ってる。たくさんイラストが載る予定。語りすぎるのは無粋だと承知しながら、絵についていろいろ書いた。

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娘が大学受験を考えていたころ、授業を選択する者が少ないとの理由で彼女は倫理を勉強していた。私は倫理の授業など受けたことがなかったから何を勉強するのか知らなかった。ある日授業で教わったからと、トマス・モアのユートピアの話をしてくれた。ユートピアはないと云う話だった。なんだ、ないのか、身もふたもない。結局ユートピアは読まなかったけど、だったらユートピアはどこなんだろうかと云う考えが頭から離れなくなった。もしかして西遊記の天竺みたいに今いるところなのかなと、ある日思い、今ある場所をより良いところに変える方法を模索した。逃げてもより良い場所がないのなら、ここで腹を括って生きるしかないんだろう。そう思うと不思議と幸せだった。自分で運命をコントロールできるからだ。幸せかどうかはただの主観だから、周りの人たちが、あんたは不幸そのものだよと云っても、当の本人が幸せだと感じるならそれは紛れもない本物の幸せに違いない。だから、そう、私は私の主観の上ではいつも幸せだ。時々周囲から見たくないもの、聞かされたくないことが届いてきて心を乱される以外は、雨に濡れても、お気に入りの茶碗を割ってしまっても、少しも辛くない。嘘、茶碗は割れない方がいい。

今日も絵を描いている。月に二日ほどは描いてる場合ではない用事があって描かなけど、それ以外は毎日描いている。描かないと怖いのかもしれない。描いていても怖いけど。最も楽しいのはクロッキーに行ってる時。漫画家になる前からモデルを使って描きたいと思ってたし、モデルを見ながら描いているときはとても幸せだ。人間の姿形がたまらなく好きだから。そして、描いたものが誰かを落胆させたりしないと知ってるから。私はモデルしか見てなくて、モデルは私なんか気にしなくて、私はただの壁のシミになってモデルを描き続ける。盗難に遭ったマルセルが来たからと観に行った時、ロートレックで一番良かったのは素描群だった。描く者の悦びを感じ、性(さが)を感じた。私は緻密で死んだ線が好きじゃない。緻密で美しいとされる線は見られたがっている線に思える。心や魂とは違うものだ。素描は、君が好きでたまらない、の云い換えなんだろうって思う。もう出発してしまう汽車での、別れのキスに似てる。

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漫画を描き始める前に頭の中にあったこと

相変わらず大学ノートやiPhoneのメモにはほぼ毎日日記を書いている。仕事はずっと切れ間がなくて、漫画とイラストの仕事がサンドイッチ状態だった。それ以外の細かい仕事も大きい仕事もあって、5月からは大学のオンライン授業が始まった。毎週会議室を借りては配信用の動画を撮り、課題の添削と合わせて、週に3日は潰れてしまう。考えてたよりラクじゃないけど、早く慣れて効率のいい授業をしなくちゃと思う。

連載の漫画は、毎回毎回お話をまとめるのに四苦八苦している。苦しいのはお話がうまく作れないからじゃなく、思いのほか長く描いてしまったお話の、綻びがないか思い出したり読み返したりすることだ。描き終えた漫画はあまり見たくない。思い通りになってなくて恥ずかしい。ただ恥ずかしいだけ。技量が足りてなくて居心地が悪いだけ。でもそれでも漫画を描くのが好きなんだ。小学校の1年か2年生くらいの頃から頭の中にキャラクターがいて、私の日常の面白い出来事や印象的なシーンをその人の性格や振る舞いに反映させてお話にしていく遊びが好きだった。毎日寝る時間になったらその人のお話の続きを考えた。お話を残す方法がないからすべて頭に記憶して、次の日の夜にその続きを考えた。たまに絵に残すと母親に見つかって破り捨てられて説教されたから、また記憶に残すということの繰り返し。今でも頭の中の妄想を絵にして残すことは、人様にとっていいことじゃないと思ってるのかもしれない。今もし母親が生きていて、私が描いている漫画を読んだとしたら、きっとまた破り捨ててしまうに違いない。妹も私の漫画が嫌いだった。なんでだろう。だからちょっと、今でも、漫画を描くことは後ろめたい。誰かに迷惑をかける内容でないなら、何を思って何を描いてもいいじゃないって思うんだけど。

Twitterではあまり文章を書かなくなった。批判やネガティブなこと、政治的なことや誰かの生き死にのこと、思ってもないのに調子を合わせること、その他のセンシティブなこと。それらを書かないと決めたら絵とご飯のことだけになってしまった。それもしょうがない。でもここは私の日記だから、好きなことをちょっと書いてみよう。大学の春休みに入ってからこっちは毎日のようにテレビで映画を見ている。見たことないのも、何十回も見ているのも、どれも楽しい。最近よくわからないと思った映画はファントム・スレッド。わからんでもないが、私がこれをわからなくても、まあいいか、という感想。期待してなかったけどなんだか泣けたのがワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド。タランティーノはシャロン・テートが大好きなんだ。きっと彼女を幸せにしてあげたいと思ったんだ。昔のロサンゼルス 郡の風景も涙が出るほど美しかった。なんでG.I.ジョーとイコライザーは2ばっかりやって1をやってくれないのかなとか、アイアンマン以外のジェフ・ブリッジスの映画やって欲しいとか、文句ばかり云ってるけど概ね幸せ。

追記じゃないけど文章のことを。文章を書くときと絵を描く時は同じで、頭の中に人や物や、何か実像があって、それを眺めながらどんな風に表現すればこれが伝わるかなって考えている。誰かと触れ合って肌に密着する感じってどう伝える?上顎にオブラートがくっつく感じ?コップに水風船を入れたような感じ?どっちもキレイじゃないよな、って。文字でも絵でも何かを描写する時は目を閉じて頭の中で観察する。目を閉じた方がより鮮明に見える。

絵でも文章でも嘘が云えればよかった。ただそれだけ。私は世の中に合わせていけない駄目なヤツ。

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